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満足した豚でも不満足なソクラテスでもなく、幸せなインコとして生きます!

◆『君たちはどう生きるか

まるで夢を見ているかのような展開の嵐。抽象度の高さ・説明の不足は予想していたものの、ここまで極端なものだとは。毎回毎回本当に意地の悪い爺さんだと思うけれども、分かり易さ・消化のし易さ・タイパ最優先の令和には良い教師のようで有難い。
 ありていに言ってしまえば、物語は母を失った主人公・眞人の喪失からの回復劇であり、義母との和解を果たすまでの冒険譚である。夏子が産屋で見せた眞人への強烈な拒否反応は、頭の良い眞人が自分自身に見せた被害妄想だと解釈した。自身のつわりに苦しみながらも、眞人のこめかみの傷を労わり、その真意を理解する夏子を発見して「母さん」と叫ぶに至る一連の流れは、歪な「家族」が結束してハッピーエンドを迎えるタイプの物語(『そして父になる』とか『ホームドラマ!』とか
)が好きな自分の琴線に触れた。
 
一歩引いて見ると、生の時間を超越した神の視座から世界や人生の可能性に触れ・選択する話でもある。それは監督のこれまでのキャリア(つみき)の反省であることは明らかなのだが、眞人(任意の後継者あるいは若かりし頃の監督)の選択はその肯定でもあり否定にも思える。アオサギ高畑勲鈴木敏夫に見立てる考察は鑑賞後にいくつか見た。彼らと共にやはり人間として生きることは、これまでの製作活動を肯定するものだ。大叔父はあるいは眞人自身なのかも知れない。「宮崎駿」が巨匠として存在する世界に仮にハヤオ少年が生を受けたとして、どんな生き方をするのだろう。そんな問いかけがある気がする。老人から「穢れなき石」なんて押しつけられる怪しい石より、自分が歩いた道で見つけてこっそりポケットに入れた石のほうに眞人は価値を見出している。
 しかし......。芸術家・宮崎駿の考え方とはやはり相容れない。
時として僕だって、出鱈目に数字が並ぶあの廊下を歩いて、ひょっこり顔を出したところが気に入ればドアノブを離す、そんな夢想をする。学生の頃からやり直せたら~って、皆言うでしょう。でも結局のところ同じような人生を歩むに決まってるし、今を肯定するほか無い気がする。僕は元来決定論的な考え方をしてしまうので、サルトル的な(?)、自由に生き方を選択できるなんて考え方は理解ができない。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』だって、そういう本でしょう?恥ずかしながら読んじゃいないけど、眞人のように涙を流すことはまず無いことを直感している。僕たちの大部分は、あの石のなかで労働と消費を繰り返すインコに他ならないだろう。何の疑問も持たずにもくもくと刃を研いで、皿を持つ。芸術家のことは知らない。アレントは人間らしい「仕事」に近代以降携わることができているのは芸術家ぐらいだと指摘していたが、彼らと僕らとではやはり魂のステージが違うのだろう。そういう意味で、僕にとっては非常に退屈で、同時にジェラシーの湧く、そんな映画だった。

 しかし、しかしだ。僕たちを日常から解き放ってこんな風にテツガクさせてくれる宮崎駿改め宮﨑駿(みんな気づいた?)は、やっぱり有難い存在なのであった。。ジブリ最高(完)